適切なタイミングで適度なコミュニケーションをとることの大切さ
「勉強になったなぁ」で終わらないためには実行して改善すること
タイトルの件。「勉強になったなぁ」だけで終わる人は多いと思うし、僕も大概はそうだ。大きく2点ある。
まず1点目、インプットしたときの「勉強になったなぁ」。読書しかり、勉強会しかり、セミナーや講演会しかり。ありがたい教えや教訓、tipsなんかを読んだ聞いただけで「学んだ」つもりになって終わるパターン。学生の頃も含めて僕がありがちだったパターンで、改善するにはまず、実行すること。
読書で学んだことがあったらそれを実践してみること。勉強会で得たtipsがあったら現場で試してみること。セミナーや講演会でタメになった教訓があったら、習慣化するよう毎日の行動に組み込むこと。
とにかく実行して、経験して、プラス反省することで自分の中に蓄積していく。模倣から始まったインプット内容に、反省から自分なりのアレンジを加えてオリジナルなものにすること。インプットして内容を回答するだけのテスト勉強とは違い、実行して経験してさらにアレンジして初めて意義がある。
次に2点目、日々の経験や失敗に対して「勉強になったなぁ」。少しポジティブになっている面はいいが、おそらく同じことを繰り返すだろう。まさにここ最近の僕だ。経験や失敗に対してまずはポジティブに向き合うこと、さらにすぐ再発防止の改善案を考えること、そしてそれを実践すること。インプットのくだりで書いたことと同じく、要は経験してアレンジしていくことが重要。
1,2点目に共通して言えることだが、僕(ら)はPDCAのPlanとDoは割合できるが、CheckとActionまできっちりできる人は少ない。だから計画して実行してハイおしまい、そして次また同じような結果になる、のような経験がある人も少なくないはずだ。
「勉強になったなぁ」と思うこと自体はポジティブでいいことだ。ただそれを有意義にするには、実行して反省して改善して再度実行するというシンプルなPDCAを回すことが必要だ。
自分は何をやりたいのか、何を成し遂げたいのかを今一度考える
小さな失敗から学び、ただ前を向いて進む
失敗は誰にでもあり、それを経験に学び次につなげる。
成功してきた人は当たり前のようにやることで、僕も当たり前のように理解していたこと。失敗を悔やんでも仕方がない。反省して改善することには大きな意味があるが、ただ悔やんでネガティブ思考になることは何にも生み出さない。当たり前のことだ。
その当たり前のことを、最近の僕は全くといっていいほど考えられていなかった。完全なネガティブサイクル。失敗を悔やみ、挑戦を恐れ、動かないことでより状況を悪くしている。やったことは現実逃避。出発ギリギリまで寝ていたり、やるべきときにネットサーフィンに逃げ、何かを消費している感だけ得る。残るのは虚しさと、そして焦り。
ずっぽりとはまっていたネガティブサイクル。今日いまこの瞬間から、脱却すべく前を向いていこう。面白いかな、そんなマインドセットの変化を、現実逃避の中のYouTube鑑賞で得られただなんて。
やるぞ。
日々仕事で感じるストレスとプライベートについて
僕は学生の頃からIT系のベンチャー企業で働き続きその延長で社会人になったようなものである。インターネットの世界が好きになってしまったから、良くも悪くも仕事とプライベートの境目がなく、休日に仕事をしていることも良くあった(別に仕事量が多すぎて仕方がなく、というわけでもなく)
これまでそこに関しては大きなストレスを感じることは少なかったが、ここにきて変わってきた。
仕事が、辛い。
というのも、ここ数ヶ月の間で営業サイドの仕事が爆増したという変化があった。学生の頃からの僕は、インターンとしてのwebディレクターや広告運用者、マーケターまがいの仕事を見習いとしてのサポート業務含めやってきた。作業効率化やマニュアル化なんてことは得意になったし、もちろん上記業務における専門的な知識も小さいながら経験値も積んできた。
が、よくよく考えるとお客様と面と向かって仕事をすることはほとんどなかったのだ。社員さんのサポートとしての業務のためお客様との直接のやりとりは社員さんであったり、ディレクション業務として立ち回ったものの実は社内リソースで完結するような内容だったり。
つまり、自分ではビジネス経験を積んでいたつもりが、社外の人を巻き込んだ上での本当のビジネス経験は積んでいなかったのだ。
人は、自分がコントロールできる領域においてはストレスはそこまでは感じないと思う。コントロールできないのは自分のスキル不足であっていくらでも改善可能であるから。社内の人でも、それなりにコントロールがきく、語弊があるから正確にいうと融通がきいたりある程度思い通りに対応していただける。
ところが、社外の人となると違う。向こうに合わせなければならないシーンも増えるし、無茶な要求と適切なニーズとを線引きして対応しないと疲弊するだけで終わってしまうこともある(社内ならそのあたりはあらかじめ整理されている)。コントロールがきかないシーンが多く、やるせないストレスを感じる。
要するに、僕はいま社会の理不尽にやられている。
もちろん理不尽と呼ぶには全然まだまだ甘いことではあるが、少なくとも自分がこれまで経験してこなかったコントロールが難しい状況に陥り、全てを自分の責任に押し込んだ結果大いなるストレスを感じている。自責にして改善することは重要だが、くそまじめに自責にしすぎても潰れることがわかった。ある程度、抜きの時間をつくることが大切、と。
ここ数ヶ月仕事で感じているストレスがプライベートのストレスにもなってきて、正直毎日消えてしまいたい気分になっている。どうせ立ち向かっていかないと状況は何も変わらないわけだから、自分の心情をしっかりコントロールして(コントロールできる領域なんだから)、突き進んでいきたいと思う。
信頼残高が崩れる瞬間を目の当たりにすると感じるただの後悔
信頼残高という言葉がある。
特に仕事でよく使われる言葉で、文字通り小さな約束から丁寧に守っていき相手からの信頼を貯めていくことで、様々な仕事を回してもらったり大きなプロジェクトに挑戦できることにつながる。
要するに、「こいつは信頼できるな」っていうのを常日頃からコツコツと積み上げていくことだ。
この信頼残高は、そう簡単には貯まらない。地道にコツコツと積み上げていくしかない代物で、一発逆転的な宝くじのような貯め方は通常あまり考えられない。
その一方で、信頼残高をなくすときは一瞬だ。
注意不足からどうしようもないミスをしたり、最重要な商談の日に限って寝坊をしてしまったり。ちょっとした、些細な、そんなミスで長年かけて積み上げてきた信頼残高は一瞬で失われてしまい、それを取り返すのはそれまで以上の努力と根気、何より誠意が必要となる。
先日僕は、あるコミュニティで長年積み重ねてきた信頼残高を一瞬で失った。本当に些細な注意不足で。
正直、そのコミュニティにおける自分の立ち位置は決して望んでいたものではなかったし、成り行きで担っていた感はいなめない。任されていた役目も楽なものではないし好き好んでやりたい人もそんなに多くないだろう。それでも僕は地道に取り組み、多くの時間を使ってコツコツとその役目をこなし、結果として(望んでいなくとも)そのコミュニティ内の信頼を得てきた。リターンが大きかったかといえばそんなことはないが、それでも自分がやらなければならないという半ば使命感から長年継続して取り組んできた。
その長年の、地道で根気が必要だった大きな積み重ねを、本当に些細なミスでなきものとしてしまった。
そこに残るのは自分の怠慢さへの怒りと後悔、そして長年の日々に対する無常感。
結果として僕は役目御免となり、そのコミュニティ内の立場は失ったと言ってもいい。正直に心中を話すと、半強制的に任せられた役目で自分の時間を割いてきたのに、些細なミスでマイナスばかりもらうのは割に合わない。こう言うと反省していないように聞こえてしまうのが悲しいが。
ある意味社会の理不尽というか無条理を感じられて良かったと思うことにしている。そして、頑張るべきところと手を抜くべきところを理解することの大切さ、本当に注意すべきところに力を入れなければいけないことを学んだ。もちろん、信頼の大切さもね。
今日で三連休が終わり明日からまた仕事が始まるが、仕事以外で食らったこの意気消沈、うまく切り替えて取り組んでいきたい。
仕事の中でも自分のタスク時間を確保すること
最近営業関連のタスクがどっと増え、やりとりをする相手が何倍にも増えた。
当然普段のメールのやりとりも質問への回答もスケジュールの調整も増え、予期せぬことで時間を取られることが増えた。単純に1日8時間の労働時間だとすると、内4時間はそういったコミュニケーションに時間を費やし、レポートの作成や企画を考える時間が削られてしまっている。
もちろんその他にもデイリーで対応しているルーティンタスクがあるわけで、本当に価値があるようなタスクに取り組む時間を確保できていない。特に前者のコミュニケーション系のタスクはこちらでボールを持っていてもしょうがないもので、さっさと相手に投げるべきものが多い。
そうすると必然的に優先してコミュニケーションタスクを行うわけで、結果として重要なタスクに取り掛かるのがどんどん遅くなってしまう。
日の終盤に重要タスクを行うようになってしまう。
当然1日の疲れが溜まっているので思考力と作業スピードが落ちる。
どんどん夜の作業時間が長くなり、結果寝不足となり翌日の集中力が落ちる。
するとまたどんどん夜の作業時間が長くなる。
といった驚異の悪循環に陥る。そんなの僕のキャパ不足、仕事の下手さが原因であるだけ。要は何か施策をうってここを乗り越えれば、成長しているってことになる。
やるしかないね。