新卒フリーターの成長日誌

大学を卒業してフリーターとなった僕の成長ブログ。毎日の学びや感じたことを痛い感じで書いていきます。

モヤモヤする。だから何?じゃあ、どうする?

最近、仕事をしていてもプライベートをすごしていても、モヤモヤする瞬間が増えてきている。

 

仕事をしているときは、どうしても忙しくて自分の時間をとれないな感じるとき。捻出しようと思えばできるのでただ甘いだけではあるのだが、それでも自分の「重要だけど緊急性が低いもの」に時間を割けないときはモヤモヤする。ただこれは仕事の努力、時間のコントロールで正直どうにでもなる。そういう意味では、モヤモヤは強くはない。

 

一方、プライベートでモヤモヤするとき。大きく2つ。

 

1つめは、仕事のときと同様で、要は色々な予定が入ってしまい自分の時間をつくれないとき。同じく、時間のコントロールや予定調整でどうにでもなる。

 

問題は、2つめ。自由に使える時間を、無駄にしてしまったとき。YouTubeを見る、SNSを眺める、ひたすら寝転がっている。最悪だ。「重要だけど緊急性が低いもの」に取り組むべき時間に、まったく無駄なことをしてしまうと、もうモヤモヤがとまらない。モヤモヤというか、自分への憤り。

 

どうしてやるべきことをやらないのか、なぜ誘惑に負ける、思考が「楽」な方にいってしまうのか。そんなことばかり繰り返していると、「重要だけど緊急性が低いもの」は果たして本当に「重要なのか」と考えてしまう。本当に自分がやりたいことなのかと。本当にやりたかったら「楽」に走らず夢中で取り組むだろうと。

 

果たして答えは、「重要である」。一度取り組んでしまえば、文字通り夢中になる。単に、取り組むまでの問題なのだ。それは前からわかっていて、解決するために精神論に頼っていた。「時間ができたから頑張ろう」「ここでやっておけばいいだろう」という抽象的なもの。結果、うまくいかない。

 

だから、精神論ではなく、シンプルに仕組みづくりをしよう。寝る前に歯磨きをするくらい、習慣になるように。

 

気がついたら2016年も2週間以上経っていたっていう話

早いもので2016年が明けてから、もう2週間以上経っている。

 

年末年始にきちんと2016年の目標を整理し書き出さず、「つぎ時間ができたらまとめよう」など中途半端な気持ちで過ごしてきたこともあって、気がつけばもうこんな日という感覚だ。実に早い。

 

幼少期は時間間隔がゆっくりとしていて、一日一日が充実しているように感じられた。日々遊びに勉強に全力を尽くし、中学高校と進むと部活動に熱中していた。色濃い毎日を過ごしていたと思う。

 

それが大学に入ってから、毎日があっという間に過ぎ去っていくようになってしまった。時間にゆとりができて、やれることが増えたはずなのに。時間がない中でやりくりしていた中学高校時代との差。空いている時間に何もやらないからこそ感じる停滞感。中身のない時間を過ごすことが増えてしまった。

 

果たして、社会人になってからも同じだ。特にここ数ヶ月は仕事の裁量も増え、責任も増してきた。生活の最優先事項が仕事であり、プライベートの時間も使うようになってきた。そして大学時代からの習慣だからなのか、空いている時間は何もせずにやり過ごしてしまう。YouTubeソーシャルメディアを受け身の姿勢で、半ば中毒のように見続けてしまう。

 

やるべきことがわかっていて行動することの重要性が頭でわかっているのに、どうしても流れてしまう。この理性の弱さ、自己コントロールのできなさが目下の課題だ。

 

 

良い人生を歩むために良い習慣を作る。自分を律するため、本能での判断ではなく理性による判断と行動を重ねていこう。

今の仕事、向いていないんじゃないか?と思う瞬間

誰でもあると思う。

 

そういうときは大概、単に仕事に行き詰まっていたり初めてのことに挑戦しているときのとこが多いが、それでもやっぱり自分の性質上合わない仕事だってあるはずだ。

 

 

僕の場合はわかりやすく、コミュニケーションに重きを置く仕事。もちろん仕事は人間関係の上で成り立つのでコミュニケーションは必要不可欠だが、営業職だったりコンサルティング職というのはことコミュニケーションが命な職種であり、苦手だ。

 

単純に、ビジネスで他人とコミュニケーションを取るのが好きではないのだろう。他人に興味がないレベル。

仕事への不安と、弱くなりつつある成長意欲

最近仕事への不安が大きい。

 

コミュニケーションを主とする営業系の仕事、ことこれが苦手でならない。お客様と直接話して課題を整理して、解決策を提案する仕事。それ自体は嫌いではないしむしろ元々は問題発見の作業は好きでもあった。が、直接「仕事として」行おうとすると、そこに大きな不安を覚える。

 

責任が発生することによって、構えてしまう。

構えることによって、お客様と距離ができる。

お客様と距離ができることによって、本音を聞き出せなくなり結局課題がわかりにくくなる。

 

つまり、仕事ができなくなる。

 

 

と言った見事なまでの負の連鎖にハマっている気がしてならない。自分自身の課題を整理してさっさと解決しろよと思うが、苦手なものは苦手。苦手を克服するのではなく得意を伸ばせというけど、今の状況としてはそうも行かない。得意を発揮するために最低限の苦手を克服しなければならない。ああ辛い。

 

 

この「しなければならない」思考が自分の首を絞めているのかなぁ。。。

 

 

正直職場ではこんな低レベルな相談は誰にもできないし(僕以外はみんな30歳以上のビジネスパーソン)、かといって近くに頑張る仲間もいない。同じ職場環境にいないと悩み共有なんかできない、単なる愚痴の言い合いに終わってしまう。

 

 

かつて僕は成長意欲に溢れ、過程で発生する困難はすべて成長痛だと思い乗り越えてきた(乗り越えてきたつもりだっただけだな)。環境が人をつくるというけど、確かにギラギラしたベンチャーの若手ビジネスパーソンの輪から抜けてしまったことで、自分自身が悪い意味で保守的になってきている気がしてならない。

 

 

どうしたものか。

集中力の欠如について

ここ1〜2ヶ月、集中力の低下が著しい。

 

物事を深く考えられなくなってきている。本を読んでも小説のように受け身で済むもの以外は頭に入ってこないし、web記事でも2chまとめやスポーツニュース記事など同様に受け身で済むもの以外は頭に入ってこない。

 

自分で考えることができなくなっている。意見を持てない。どうすればいい、と聞かれても自分の考えがない。

 

 

ただ、プライベートだとそれができる場面が多い気がする。旅行の日程設計やルートを考えることはできた。が、それは単に深く考えなくても良いものだっただけなのかな。ブログや記事執筆なんかでは自分の意見や言いたいことがなくなっているかもしれな。

 

どうしたものか。

追い詰められたときに出せる最高の集中力とそのストレス

仕事の段取りが下手くそで、期限前はギリギリまで追い詰められてしまうことが多い。ただそういうときに限って、高い集中力を発揮しその時間の中では良いアウトプットを出せるときがある。一方で、自分にかかる精神的ストレスや負荷がひどく、終わった後はいつもげっそりする。

 

果たして、このやり方はよくないと感じている。あくまで「その時間、追い詰められたの中で」良いアウトプットなだけで、実際に与えられた時間におけるアウトプットとしては高いとは言えない。

 

解決するには当然、段取り力をつけて仕事を順を追ってこなしていく必要がある。これが長年の課題で、解決しているところとしていないところがある。仕事について掴みきれていないときに段取りが崩壊することが多く、このパターンは「とりあえずちょっとやってみる」方法で意外とうまくいくことが多いともわかっている。

 

今回の話は、それ以外で段取り力が崩壊するときだ。「段取りがわかっているのに、いまやるべきことがわかっているのに、やらない」。普通に見たらただの怠惰で、ただのバカだ。やらないと追い詰められてしまうのに、やらない。何を考えているのかと。

 

答えは、わからない。やらなきゃいけないとわかっているのに、なぜかやらない。寝てしまったり他のことをしてしまったり、はたまたぼーっとしてしまったり。。。この現象がここ1~2ヶ月よく表れている。改善の意思はもちろん、その瞬間までは取り組む意思すらあるのに、それを全て無視して思考停止してしまう。ぼーっとする、何も考えられない、受動で済むものに流れてしまう。。。

 

 

どうしたものか

生活に中で時間のゆとりを持つことはサボりなんかじゃない

僕は最近、予定がない日がない。平日はもちろん仕事だし、休日もここ2ヶ月全て予定が入っていた。それも部分的なものではなく、たいてい終日の予定が。

 

それもあってか、ここしばらく自分の中で余裕がなくなり、目の前のことしか見えなくなった。中長期的な視点で物事を見られなくなり、つらいこと大変なことの負荷が高まるにつれて短期的な思考力すら弱まり、判断力も鈍っていった。

 

果てには毎朝つかみどころのない絶望感につつまれ、無気力になりかけている。

 

 

おそらく、定期的に息抜きしたり自分を見つめ直す時間を取らない限り、なおらないような気がしてならない。PDCAのCA部分を怠り、だんだんとPすらできなくなり知らぬ間にDだけの人間になっていたのかもしれない。時間を取ろう。

 

残業せずにさっさと仕事を切り上げて時間にゆとりを持つことはなんのサボりでもない。むしろ生産性は高く、中長期的に見ても価値が高い人間になりうる。